昭和五十六年十一月十九日 朝の御理解
御理解第八十九節
此方の道は傘一本で開くことができる。
 今朝から御祈念中にえ-、丁度私が昼ここを下がらせて頂きますと、テレビで銀河鉄道と云うマンガがあっております。大変有名なマンガだそうですね。時々見るんですけれども。今日はその一番始めに、そんテレビがあの写し出しますのは、何かレ-ルがず-っとあってそのレ-ルをまあ、汽車がこう進行しておる。そすと最後ん所はこう上の方へこうレ-ルが曲がっていって、そこでとどまると云う所なんですね。だからそこまで来たその機関車は、ダ-ッともう、レ-ルのない宇宙へそのまま走り出していけれる。ここまではレ-ルがあるけど、ここから先はもう、無軌道だと。しかもそあらゆる星を訪ねていくと云う、あの筋のマンガなんです。大人が見取ってもなかなかおもしろい。いわゆる何というでしょうか。深い意味を感じさせるマンガですね。何とかと、え-いわゆるあれは、それをまあ、銀河鉄道か何かて云うマンガなんです。そういう場面を頂いたんです。
 皆さんがこうして合楽に通うて、合楽理念のねマスタ-をする。そして合楽理念の実験実証をさして頂いて、もういよいよ合楽をもってするほかはない。とこの世で助かる。この世で徳を受ける。しかも合楽理念をもってするならば、この世にも残しておける。あの世にまでも持っていけ、いわゆるあの世も、も、限りなくね、合楽理念のマスタ-をしときゃあとは、も、限りない宇宙へ飛たっていけれる亊がでけると、感じましたら、今日の御理解。此方の道は傘一本で開く亊ができると云う。しかも無尽蔵、限りがない。為にはどうしても合楽理念のマスタ-。それを実験実証さしてもろうて、いよいよ合楽理念をもってすればね、と云う心に安心のおかげの頂ける所までは頂かなければだめです。何々は合楽理念をもってする他はない。とこういうでしょう。ここで百姓は合楽理念をもってする他はない。商売は合楽理念をもってする他ない。と云うそこまでの云うなら確信の出けれる信心を合楽理念によっていうならその、軌道のある所までは突進していかなきゃならん。後はもう、いわゆるあの世の世界、と云うてもいいでしょうかね。もう、限りない無軌道の所が橋っていけれるような仕組みになってるんです。それは皆さん見た亊がないなら、一遍見て下さい。その銀河鉄道と云うマンガがあってます。ね、だからどういう亊かと云うと合楽理念によっておかげを頂く、ではなくて何々は合楽理念をもってする他はない。と云う確信が出けれるところに生まれてくるのが安心でしょうが。ね、ここの傘一本で開けると云う傘は安心とおおせられます。 傘を持っておる。持っていない。ね、お天気の日の時には誰でも平気でおる。けども、さ-少し雲行きが悪くなって来ると慌てにゃならん。所が信心と云う安心をもっておるから慌てんですむと云う安心があるという私は、そういう安心の心を頂いたらね、もうこれは布教でも、どこのいうなら言葉の分からない国であろうが、どこででも道は開ける。人は助かって行くというふうに頂いとります。皆さんもそうです。合楽理念によってです、いわゆる本当に合楽理念をもってする他はないと、どういう亊柄もね。合楽理念をもってする他はないと云う確信が出ける所まで合楽理念のいうならば研修をね。そして限りないいうなら、実験実証さしてもろうて、いよいよ確かなものを自分の心の中に頂いていくならばです。ね、私はこれはあの世、この世を通してと云うその今日の私が御心眼に頂いた、軌道、レ-ルがある所までを、この世とするならばあとはも、あの世と云う亊にも頂かれるしね。ふなら、この世にあってもそうです。ね、ここまでの合楽理念のマスタ-が出けて、実験がでける。そこに安心のおかげが頂けれるようになったら、も、なにを致しましても大繁盛間違いないね。いわゆる限りないおかげにつながつていく亊が出けるという。だから軌道のここまで、ある所まではその長い軌道の中を、乗ったり、降りたりね。行ったり来たりしよるような亊ではいつまでたってもおかげにならんですね。
 ここが合楽理念の行き詰まりと言うと、行き詰まりと言うとちょっと言葉が悪いですけども。が、ここまでと言う、いうなら、それはどうかと言うと、合楽理念によって実験実証さしてもろうて、何々は合楽理念をもってする他はないと信じて言えれ、思えれる信心と言う亊です。為にはも、本気でふな合楽理念の勉強。それを実験、実証。生まれて来る安心。その安心のいかげがね、限りないおかげにつながっていこうと言う亊のですね。皆が私はね-。本当に思うんですけれども、本当に夢にも思わなかったようなおかげになってくる。ひとつおかげが皆さん頂いて貰いたいね。それには昨日のお月次祭にも申しましたようにね。思うようになる亊が決しておかげではない。勿論おかげですね。お願いをして、昨日なんかでも大変難儀。あの、日田の田中久代さんち言うて参ってきなさるですよね。肋膜神経痛で大変難儀しとられた。医者でもこればかりはどんこん、サ-ッち言うわけにはいかんもんの、であった、ね。夕べお礼に出てきておられましたがもう、御取り次ぎをいただいて一ケ位なるでしょうか。御祈念さしてもらっておかげですっかりおかげを頂いたと、ね。だからもう言うならばも、不治の病と言われたり、又は現代の医学では、と、言われるような例えば病気でも下さろうと言う気なら、おかげがいただけれる神様だからね。願っても、願ってもふなら、右が左、左が右になるような場合であっても、いよいよ神様が成就しておる時だと、神願有難しと受けていけというのが、昨日の御理解でしたよね。夕べの御理解ね。
 そういう神願有難しと受けていけれる信心を頂いたむこうに、願い通りとか、思い通りではない、それこそ夢にも思わなかったようなおかげの展開になってくるんだという。そういうおかげを頂く為には、ふな、今日の御理解のね、ひとつ安心のおかげの頂けれる所まで、どんな場合であっても合楽理念をもって行じていっておれば、ね、心配はない。ね。不安はないと思われるような所まで、いうならば合楽りねんによる安心を頂かなきゃならん。合楽理念による傘一本を頂かなければならんと言うこと。それからさきはもう、限りがない。為には合楽理念のこれから、これまでと言う軌道を間違いなく、突進しなければいけない。ね、それを乗ったり、降りたり、行ったり、来たりしておるようでは、いつまでたってもいわゆる、合楽理念による安心というものが、又、合楽理念による安心は誰でもその気になれば頂けれる。という所がまあ、みそ、だと私は思うです。合楽理念をもってその気になって頂こうという構えを作ったら、誰でも安心のおかげが頂けれるという亊。信心の確立が誰でも出けるという亊です。
 もう数十年も前にある、御祈念の時に大きな傘に神愛会と、神愛会といえば三代金光様から頂いた、当時のいわゆる宗教法人、神愛会ですね。教会としてお取り立てを頂きませんですから、神愛会ろ言うひとつのまあ、会の名称です。それを神の愛の会と言う、その神の愛の会と書いた大きな傘のしたに、こう丁度相合傘のあの落書きなんかによく見るような絵で、神愛会。神愛会と書いて有る。傘のした。それが当時、甘木で真の愛の会と言う会がございました。真の愛。そいから久留米に親の愛の会と言う会が二つとも金光様から頂かれたお名前です。同じ筑後の地にですね。ね、神愛会が三つあった。名前が違う。合楽の場合は神の愛の会ね。真の愛といい、親の愛といいね、大変尊いものである。けれどもそれを傘下にね。こう傘下とこう言うならば合楽の親愛会の傘下にと言う御理解を頂いたのがもう、三十年も前の話しでしょうね。だったと思います。一生懸命の信心さしてもろうて、いわゆる神様を信じる地からというものはも、益々、私の中に頂けておった。本当にまあ、どんな修行でも有りがたい、有りがたいで受けていけれるような時代。それでも本当に何と言うでしょうかね。心外と言うね、まあ心外な亊が次々と有りました。ある御本部参拝の丁度鳥栖で乗り換えで、乗り換えなければならないので、その出る時刻を、待って、駅の前がこう、植木が、植え込みがあって、あれしとりました。そしてその、出がけから汽車ん中で色々ともう本当にもう、本当に心外な亊を言われたり、態度を取られたりしても私はいうならば、くぅ-っと、しとった。そしてそん時間の来るのををこうやって待っておったね。いっちょ、いっちょ、赤面弁慶なって言い訳をする亊もせんしね。こう、あ-と、言うないけれどもまあ、それこそ人はどげなこってん、言うたりしよりました。もうそれこそ、言うだけじゃない。態度に現わす人すらございました。そしたら神様から御心眼にね、も、この位ばっかい小さい“鯖を猫がね、こう爪を立てて、あっち引っ張ったり、こっち引っ張ったりしとる”とこを頂いた。そすと御理解に今、お前の信心がこんな鯖位な、小さい魚だからね、いうなら猫やら犬からでもこうやってかじられたり、あっちひっぱり、こっちひっぱりされとるのだよと、大きゆうなれ、大きゆうなれとお前が鰤のようなね、それこそブリブリとしたおかげを頂くようになったら、そのいうなら、爪をたてたり、あっちひっぱり、こっち引っ張りしいとる。いうなら猫でも、犬でもね。も下からこうやって眺めとるだけでね、誰も爪を立てきらんようになるぞ。と言う意味の御理解を頂いて、いよいよ元気づいて、もう、大きくなるより他んない。いよいよブリブリしたいかげを頂くより他んないというような思いを強うした時代がございました、ね。お互いがね、そんブリブリするようなおかげを頂かなければ、私は合楽理念に成程、合楽にあれだけ打ち込んでござったがという実証にならないと思うです。信心しよっても、しよらんでも、大した変わりはなか。位なおかげじゃでけん。それこそ夢にも思わなかったようなおかげの転回になるためにです。ね、神願有難しの信心。願うた亊が成就する亊がおかげではない。と言う、本当の亊を分からしてもろうての信心。そして私は、今日また、改めて今日の、あれはスリ-ナインか何か、て、言うですかね、あの銀河鉄道のそれじゃないですけれども、これはね、真の愛の会徒か、親の愛の会て言う、いうなら久留米とか、甘木とかいう、そんな小さいもんじゃない。と私は思いました。これはもう、あの、真愛とか、親の愛とか解く。もうあらゆる宗教宗派と言うものをも、傘下に治めるような、あのおかげを受けよと云うお知らせだったと云うふに思うんです。ですから、いよいよもって限りなく、例えば安心、合楽理念によって頂くところの安心です。しかもその安心の傘と云うものはもう、限りなく、まあ、私は今日初めてそんな亊 を感じたんですけれどもね。それこそ合楽、甘木てん、久留米を傘下するち云うと又、問題になりますがそう云う亊じゃない、ね。私はもう、世界のね、云うならば過去のすべての宗教を傘下に出ける。和賀心と云う信心でですね。傘下されるような大きなおかげを頂かなければ、世界の平和も助かりもない。と間、今朝からおもうようになりました。ね。それこそ私の信心が、いうならば宇宙に飛び出していけれるだけのいうならば信心がでけた解きにね。いよいよいうならば、合楽理念の真価が発揮される亊でしょう。皆さん先ずは傘一本を頂かなきゃならん。と云うのはね、いわゆる、合楽理念に基づく修行をさして頂く。実験実証さして頂いているうちに成程、合楽理念をもってする他はない。この信心さえ頂いていけば、この世、あの世を通して助かっていけれるんだという確信がでけるとこまでの信心を頂いて頂きたい。それから先、いよいよ偉大になるとか。大きくなると云う亊はまた限りがない。
 私は今日を境にです。例えば、久留米とか、甘木とかいったようなものではなくてね。あらゆる宗教を傘下に出けれる、いうならば、おかげを頂かなければ、世界、真の平和は望めない。いくら、口に世界の真の平和を云うてもです、それを傘下に出ける位なおかげを頂かなければ。為にはいよいよもって、もっと、もっと合楽の信心が変わってこなければならない。私は今日を境に変わると思うです。又、ですから思い方、物の見方が又、変わってくると思うんですね。そして、あの、いうならば傘いっぽんで開く亊が出来ると云う大きな傘を頂きたい、ね。皆さんは先ず、小さい傘でもよいからね。
 金の杖をつけば曲がる、木や竹はおれる。神を杖につけば楽じゃ。と云う安心を合楽理念によって、神の杖をつけば楽と云う。その楽のおかげを先ず、頂いてもらいたい。為には本気で実験実証をしなければだめって、ね。
 昨日、私は、私の孫の礼をとって話ましたが、昨日は吉木の、吉木と云う所の山の中腹にある八幡様に遠足で、行っております。まあだ、あ-、六つや、七つ位ですからあ-も、あんなに遠くまで歩いた亊も又、山登りした亊も初めてだったでしょう。もう帰りに足。今日、おもしろかった、ち私がいうたら、もう足が痛うして、痛うてち言う。足があがらんごつきつかった。そいですぐ私の所へいつも来るから、あ-、恵城はどうしよるやろうかち言うたら、あ-も、そいがすぐ、今日はあの-、村内で習字の先生があの塾を開いとられる。そこの今日は習字の練習日だからというてもそのまま、又、走り出して行ったとこう言うのですけれどもね。稽古にはね、そういう姿勢、構えがいるんですよ。お互いがね、夕べ遅かったでもうかまける。子供が泣きよるけんち言うてもうかまける。こげんせんならんからと言うこつにかまけて、信心の方は大事にする。おろそかにするような亊では稽古にならんです。ね、そこん所を私はあの大事にしていくような信心からしか、合楽理念のいうならば実験実証とは言えないです。ね、だからそういう亊にかまける亊のない。は-、夕べ眠かったけんで朝の御祈念な御無礼しょうなんてんこげな亊ではね、夕べ遅かったにかまけた位な亊、ような亊では、いわゆる合楽理念の信心のいうならば体得というか、又、実験実証していくあらたかなおかげを、体験して行く亊は出けないです。だから、そういう素晴らしい、いうなら、あの世にも持って行けたり、残しておけたりするほどしの、大変なものを頂く稽古なのですからね。本気でやはりその姿勢、その構えを作って成程、傘一本で開けると言う実験をね、さして頂いて、しかもそれから先の安心と言うのは、いよいよ大きくなって行く手立てがね、なされて行く。この方の道は傘一本で開ける道、と言う亊は私はそういうような亊だ。成程どういう所から安心を頂くと言う亊は、と色々、手立てはありましょうけども、合楽に御縁を頂いとる、皆さんはね、合楽理念に基づいて、その安心の傘を体得する、ね。それが頂ける信心をして頂きたいそして、もう本当に限りない夢と、とでももうしましょうかね。それこそ、マンガのストリ-じゃないけれどもね、けれども、よ-もあんな、具合に考えられたもんだと思うような亊。これをいうなら、ゆめにも思わなかったようなおかげと、今日、私はきいて頂いたんです。本当にこげなおかげになるちは本当、ゆめにも思わなかった。為にはこういうような亊もあった。こういうような亊もいうならば、そういう亊にかまける亊なく、只、一心、ひたすらに合楽理念のいわば行者であった、と言う亊。そいから先は、もどこまでとびだしていうなら、あの世にまでも、つながっていく所へ飛び出していけれる内容えお作っておきたい。   「どうぞ。」